蓮華‖連花





君に贈りたいもの。
嘘でもいい。贋物でもいい。枯れることのない永遠の花。



薄暗い室の中で、卓子の上の蝋燭だけが燃えている。
殺風景な室の持ち主はその小さな火だけを頼りに、指先で摘んだ野の花を眺めていた。茎を回し、角度を変えながら。かれこれ半刻近い時間が過ぎただろうか。暗闇ではわからない紅紫の花を逆の手に持ち替えて、室の主 ― 藍楸瑛 ― は長く長く息を吐いた。

「…『私の苦しみを和らげる』、か」

頭に浮かんだのは、三つ隣の室で暮らすまだ幼い少女の顔だった。少女といってもそれは外見だけの話で、実際には自分よりも年上であることは彼女自身から聞いて知っている。それが真実であるかどうかはまだ判断しかねてはいたが、彼女の言葉や行動に偽りがないことは一年生活を共にしてきた楸瑛自身が一番知っていた。
彼女は嘘を吐かない、なんて断言が出来るわけではない。けれど、彼女の言葉と行動に偽りは決してなかった。彼女は彼女の中で長い時間をかけて培われてきた己の信念のみに従って生きている。それ故に、彼女を拾って今も養っているある種の恩人である楸瑛を謀るような嘘を吐くことはないのだろう。一年、という長くも短くもない期間を共にして、楸瑛にはそれが突き刺さるほどはっきりと解かっていた。

「君は…本当に、嫌になるな」


 ねえ、楸瑛くん。『私の苦しみを和らげる』なんだよ。


笑っていた。きっと、戸惑っていた自分に気付いていたはずなのに。
「藍龍蓮」の名を出されたとき、どこかで感情に波が生まれたことは楸瑛にも解かっていた。そして何事もなかったかのように振舞っている自分が、どこかで綻んでいたことも知っていた。もちろん、それを目の前にいた彼女が気付いてしまっていたことにも。
けれど、楸瑛の自尊心の高さを知っている彼女は、何にも気付かなかったふりをして笑った。笑って、それから自分を救い上げるような言葉まで残した。


 私から楸瑛くんへの感謝の気持ち、だよ。


藍家の四男。現当主の弟。藍龍蓮の兄。
どれだけの価値を与えられようとも、決して自らの名で認められることのない「藍楸瑛」。けれど、彼女は。彼女だけは「藍楸瑛」だけに感謝する。
知らないわけではない、彼女も。兄三人とも面通しは済んでいるし、龍蓮とだって何度も顔を合わせている。どれだけ幼い外見をしていようとも、愚かではない彼女が「藍楸瑛」の立場に気が付かないわけがない。けれど、それでも尚、彼女は楸瑛に蓮華をくれた。


 『私の苦しみを和らげる』なんだよ。


蓮華の花に篭められた感情に、自分は何を返せるのだろう。
たとえば楸瑛の留守中に彼女が寂しがっていないかと彼にしては珍しいくらいに相手を思いやって(彼女は気付いていなかったが)、訪ねてきた龍蓮のような真っ直ぐな好意を贈るとか。
それとも他の女性にするように、手で触れて唇を寄せて親しみを表すとか。
どちらの考えも、楸瑛は頭を振ってすぐさま否定した。前者も後者も、自分が彼女に出来るわけがない。否、そんなふうに彼女に接したいわけではないのだと、楸瑛は薄々気付いていた。

「…こんなふうに煩わされるのは君だけだよ、

一輪の蓮華を手に持ったまま、楸瑛は椅子から立ち上がる。
それからまだ床に就いていない家人を呼び、潤いの残った紅紫の花を渡した。

「承知いたしました。明日、そのように伝えてまいります」
「頼んだよ」
「はい。さまに似合うような蓮華草の簪、でございますよね」
「…話が早くて助かるよ」

楸瑛が幼い頃から邸に遣えている家人は楽しそうに再び是と口にすると、楸瑛から受け取った花を丁寧に丁寧に扱いながら下がっていった。
心なしか納得のいかない部分もあるが、これならば数日のうちに彼女に良く似合う最高の簪が出来上がることだろう。
決して散ることのない、蓮華を咲かせた髪飾り。
彼女は認めたくないかもしれないが、それでも楸瑛は贈りたいと思った。彼女が自分にそうしたように密かに想いを山ほど詰め込んで、他の誰でもないただ一人「」その人だけに贈ろうと願った。

変わることのない何か、枯れることのない感情を。たった一本の簪に篭めて。



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