草伏しの翼、連理の枝



藍龍蓮が"それ"を見つけたのはおそらく偶然だったのだろう。

しかし、彼は"それ"との邂逅を他者に語るとき(実際には勿体無いという理由から滅多に語られることはないが)必ず必然という言葉を用いる。それは、彼自身が"それ"との出逢いを必然であったと信じているためであり、同時に必然であってほしいと願っているからでもあった。たとえあの瞬間出逢うことがなかったとしても、藍龍蓮の人生と"それ"の人生には確実に交点が存在し、産まれたときから定められていたのだと彼は信じていた。でなければ、あれほどの衝撃を受けるわけがない。
そう、思わずにはいられないほど、"それ"を見つけた時に龍蓮が受けた衝撃は強かった。喩えて言うならば、彩雲国史上に残るような大嵐の際に鳴り響く落雷を受けたほどに。落ちたのが落雷だったのか、それとも龍蓮だったのかは本人のみぞ知るところではあるが。


「そういえば、そなたの名をまだ聞いていなかった」
「ああ、そういえばそうだね。ぼくは、紅流珠」
「なんと!紅家の長子は女人であったのか!」


実際問題、衝撃を受けたのは"それ"こと流珠も同じだった。
それも、「」の知識を借りて語るならば、品行方正才色兼備だった近所のお姉さんが、高校入学と同時に目の回り以外真っ黒に焼け一メートルを超えるルーズソックスを履いて髪を白く染めた姿を見た時以上の衝撃だった。
なにせ、今の今まで一度たりともばれたことがなかったのだ。共に生活をしていた姉にも、観察力に長けていそうな家人にも疑われたことすらない。流珠の顔立ちは元々男とも女ともとれる中性的なものだし、母の加護なのかそんじょそこらの男の子より力もある。身長だって男にしては小さい部類かもしれないが、旅に出たときには姉である秀麗よりも高かった。まだ胸の膨らみや腰のくびれなどが表面化する歳でもないのに、いったい何でばれたのか。
もしかしたら鎌をかけられたのか、とも思ったが本気で目を丸くして驚いている目の前の少年(おそらく流珠よりも一つ二つ年上だろう)を見る限り、とてもそうとは思えない。短い間に散々試行錯誤した結果、結局流珠は素直に尋ねることに決めた。

「どうして、ぼくが女だってわかったの?」
「手足の骨格を見れば一目瞭然ではないか」
「…一応、これでも今まで誰かにばれたことがないんだけど」
「む、確かに並みの男に比べれば流珠は逞しくあるやもしれぬが、女人を男と見紛うなど礼儀に反す」
「ぼくとしては、見間違って欲しいんだけどね」

顔を逸らしそう言えば、少年は困ったように首を傾げる。

「なぜだ、流珠よ。本来あるべき姿を偽るなど、風流に反す。女人であるそなたは女人として生きるべきではないのか?」
「まあ、一般論はそうなんだけどね。でも、ぼくは母様と約束したから。
 自然に反さず風流であることは大切かもしれないけど、ぼくには母様との約束を守ることの方が、何万倍も大切なんだ」
「…それは、そなたが風流を解する故か」

おそらく答えなど聞かずともわかっているだろうにと思いつつ、流珠は小さく頷いた。



少年と流珠の出逢いは、数刻ほど前に遡る。とある山の中腹で縦横無尽に成長した草原の真ん中で寝っころがっていた流珠の上に、突然声が降ってきたのだ。

「そなたは、草の妖か?」、と。

丁重に否定し質問発生の理由を尋ねれば、なんとも奇抜な格好をした少年は「そなたがあまりに草と同化していたためにそう感じた」と言った。寝耳に水だった。彼の言うことは、あながち間違いではなかったからだ。


流珠には、本来ならば人が持つべきではない類稀な力 ―― 俗に異能と称される力 ―― が産まれたときから備わっている。話によれば母の力の一端を受け継いだらしいが、それがいったいなんなのか流珠が具体的に知ったのは当の母が逝った後になってからだった。それまでは、自身と他人には前世の記憶がある以外の大きな違いなど存在していなかったために、流珠はこの記憶こそが異能なのではないかと思っていた。けれど、母の死後流珠は自分の妙な特技を発見してしまった。

いわゆる、植物栽培の才である。

ちょっとした考えがあってはじめた大根栽培がきっかけだった。「」としても「紅流珠」としても初めて試みる作業である。端から、成功することなど期待してはいなかった。けれど、結果は見事な豊作。それも、丸々と太った甘い大根は、市で売ったら通常売られているものの倍近い値が付いた。予想だにしなかった収穫に、姉の秀麗は素直に喜んでくれたし、父と家人は「流珠にはこんな才能があったんだね」と褒めてくれた。が、流珠だけは知っていた。この豊作が、才能の所為ではないことを。豊作を導いたのが、自身が「花咲爺さん機能」と呼んでいる異能モドキの所為であることを。

異能と一概に言っても、植物の声が聞けたり会話ができるわけではない。単になんとなく理解できるに過ぎないが、それでも一般の人々(あえて言えば「」もそれに入るだろう)に比べれば、植物と同化している風にとられても可笑しくないと言えるだろう。もちろん、今の今までそんな評価をされたことは一度としてないが。



「ぼくとしては自分が女だろうが男だろうがどうでもいいんだけど、ぼくの母様はぼくが女であることをすごく哀しんでいたんだ。だからぼくは男として生きる。たとえそれが全ての自然と倫理に反したとしても、譲るつもりなんて欠片もないんだよ」
「…そなたの母君は、知っていたのだな」

知っていたとは何のことだろう、と流珠は思った。流珠の異能のことか、それとも女として生きたあとの弊害のことか。どうにもこの少年の言葉には足りないところが多すぎるように思える。正確には、足りないというよりも過程を全て省いてしまっている、という方が正しいかもしれないが。
足りないながらも、母が何もかもを知っていたことに嘘はないので流珠ははっきりと縦に首を振る。隣に座る少年は、どこか淋しげに「そうか」と短く呟いた。

「そういうわけだから、ぼくのことは君にも男として見てもらえると有り難いんだ。お互い旅をしている身なら、まだどこかで逢うこともあるだろうしね」

暗に「そろそろ別れよう」と含ませ告げると、返答よりも先に強い力で腕を握られた。強い、というか強すぎる。手首の骨が軋むのではないかという圧力に、思わず流珠は声をあげて痛がってしまった。けれど、流珠の腕を掴む少年の力はほんの少ししか緩むことがなかった。

「…痛い、痛いんだけど」
「む。だが、放せば君は旅立つのだろう」
「一所に留まる理由がまだないからね。十五になるまでに色々見ておきたいものもあるし」
「猶予は六年か。なれば、その半分は二人旅だな」
「…………はい?」

こんなときこそ、某少年コミックにでてくる便利なこんにゃくが欲しい。流珠は切に思った。一応目の前にいる少年は自分と同じ言語を用いているはずなのに、どうにも自分には理解しがたい。第一声からして不思議な少年だと思い、次いでに直感的に嘘をついても無駄だと感じたから、普段なら他人に話すことなど皆無な自分の事情も打ち明けてみたが、別にそれは共に旅をしてほしいと思ったためというわけではない。
しかもこちらの都合は一切合財無視か。さすがにずきずきと頭が鈍く痛むのを感じた流珠だったが、少年はそんなことお構い無しに続ける。

「君の足取りからして、まずは黒州だな。彼の地は羊羹が美味と聞く。ぜひ君と風流について語りながら食したいものだ」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「君は羊羹が嫌いであったか?」
「いや、好きか嫌いかと聞かれたら好きな部類に入るけど」

羊羹は好きだ。「」の頃は夏場に食べる水羊羹が大好きで、中元で送られてきた水羊羹を一箱一日で食べ切り腹を壊した記憶もある。餡を寒天で固めた菓子だということはわかっていたので流珠も幾度か作ろうと試みたことがあるが、寒天の生成方法まではわからず今のところ成功実例はない。
と、そこまで一気に考えた流珠はまたも自分の思考回路が脇道に逸れていることに気付いた。自分はそんなことを尋ねたかったわけではない。流珠が彼に尋ねたかったのは、

「遠慮することはない。女人の一人旅は何かと物騒だ」
「……ぼくを、心配してくれるの」
「我が風鳥の片翼を案ずるのは当然のことだ。君はなぜそんな不思議そうな顔をする?」

なんの迷いも躊躇もない少年の言葉に、流珠は返答を忘れた。
彼の態度は真っ直ぐで、捻くれ曲がった流珠には少し眩しすぎるようにも見えたが何故かそれが心地良い。先ほど草の上で寝転がっていたときと、似た気分だった。どうやらこの少年は、自分と等しいくらい自然と同化した人間らしい。

未だ握られたままの手首から視線を上げ、流珠は少年に尋ねた。

「そういえば、まだ君の名前を聞いてなかったね。一緒に旅をするのに、少年なんて呼ぶのは味気ないから、教えてもらえる?」
「む、それは失礼した。私は、藍龍蓮だ」
「へえ。藍家の人だったんだ。じゃあ、ぼくのことを知ってても可笑しくないね」

ちなみに、流珠が「」の記憶にある「藍龍蓮」の名を思い出すのは、彼と旅を始めて四日目のことだった。しかし、気付いたときにはすでに彼の奇行に慣れ始めていたころだったので、「意外に藍龍蓮も普通の少年なんだ」と思うくらいの感銘しか受けることはなかった。人間の持つ慣れの機能とは、素晴らしいものである。


「じゃあ龍蓮。改めて、これからよろしく」


握られていない方の手を差し出すと、龍蓮はわずかな間を空けてそれを握った。流珠よりも少し大きな手のひらは温かく、軽く握り返すと龍蓮は噛み締めるようにゆっくりと笑った。