これは臆病で強かな彼女のささやかな主張



「あれ、本当に金魚死んじゃったんだ」

賑やかな店内にひどく似合った笑顔と楽しげな声で、やけに物騒な言葉が紡がれる。そんな違和感たっぷりな言動を示した張本人は、大口を開けてメイプルシロップたっぷりのパンケーキを頬張った。

「うん。一昨日ね」

んーここのパンケーキ、激ウマ。
私をここに誘った勘ちゃんは、どうやらこの店一押しメニューであるパンケーキ(メイプル)にご満悦のようだ。トッピングに生クリームとカスタードクリーム。これで太らないんだから、勘ちゃんは心底女の敵だと私は思う。

「一週間持たないって…愛されてんねー
「勘ちゃんの言ったとおりね」

一方、私はと言えば、これだけ甘い匂いが充満した店内で、砂糖を一欠片溶かしたコーヒーを口にしていた。仲間外れになりきれない仲間外れ。苦味の中の微かな甘みを楽しみつつ、甘党な幼馴染みに相槌を打つ。

金魚を飼ってみたら、と提案してきたのは勘ちゃんだった。
縁日ですくうような真っ赤な金魚。言葉にできない、けれど確かめたいことがあるのなら、一度金魚を飼ってみたら良いと、それはそれは愉しげに宣った。
初めは僅かな躊躇いを抱きはした。けれどあの日、伊賀崎くんに付き合って青大将をともらうのだと聞いたあの時。私はそれまでの躊躇なんて嘘のように、勘ちゃんの提案に乗ることを決めた。

「だーから言ったじゃん。俺にしておけばいいのに、って」
「絶対やだ」
「あらイヤだ、即答?」

フォークを片手に、によによ勘ちゃんが笑う。端から答えが分かっていたくせに、そんな風に聞いてくるのは卑怯だ。しかも、もしも即答以外の回答をしたときに、勘ちゃんがどんな反応をするのか、まったくこちらに悟らせもしないのだから。幼馴染ながら、彼の腹の底は、本当に読みようがなくて腹立たしい。
そんな感情を籠めて、睨むように勘ちゃんを見上げる。

「うん。だって勘ちゃん、性格悪いから」
「はははっ、八左ヱ門よりも悪いかな」

私は、ハチの愛を確かめたかった。
言葉にするとひどく陳腐に聞こえるが、別にハチの想いを疑っているわけではないし、愛されていないかと不安になったわけでもない。むしろ、不安はもっと別のところに浮かんでいた。
それを見透かして、あんな提案をしてくるのだから。勘ちゃんの性格が悪いのは疑いようのない事実だろう。

私がハチと出逢ったのは、高校生になった春。勘ちゃんと仲の良い友人として紹介された。別に一目見た瞬間に恋に落ちた訳ではないけれど、邂逅を重ねる度、ハチの包み込むような懐の深さや、その中で息を潜めている危うさに心魅かれるようになった。ハチに「好きだ」と言われたときは、それこそ人生で一番倖せだと思えるくらいに嬉しかったのを覚えている。
けれど、同時に私はその瞬間を後悔してもいる。だって、私はハチの中でまだ目覚めていなかった感情を起こしてしまって、ハチの可能性を奪ってしまったのだと、気が付いてしまったからだ。

「ベクトルが違うでしょ。私は八の取り返しのつかない性格の方が好き」
「あれ、俺のろけられてる?」
「今頃気づいたの?」

ハチは基本的に面倒見がよく、誰でも彼でも自分の内側に入れてしまう人だった。その性格は美徳だと思ったし、一度面倒みると決めた存在は、最後まで見捨てないと有言実行できる行動力も尊敬している。
けれど、その綺麗な一面の裏側にハチが隠していたものを、私という存在が、きっと刺激してしまった。目覚めさせてしまった。自惚れではなく、その片鱗に気が付いてしまったから、私は勘ちゃんの提案を受け入れ、最低だと知っていながら、ハチを試した。

「そういえばさ、俺、聞いたことなかったんだけど」
「んーなに?」
はさ、八左ヱ門のどこを好きになったの?」

もぐもぐ、ごくん。あっという間に皿の上のパンケーキ二枚を平らげた勘ちゃんが言う。手元には、再度広げられた店のメニュー。まだ食べるのか。呆れた視線を向けても、勘ちゃんはどこ吹く風、近くを通った店員さんに今度はベルギーワッフル(ミックスベリー)を注文していた。
そんな勘ちゃんを横目に、私は考える。
ひとつ、ふたつ、みっつ。いくつもハチの良いところを思い浮かべて、それがハチを好きになった理由だっただろうかと自問自答。けれど、そのどれもが違う気がして、ひとつ、ふたつと除外して、最後に残ったひとつを見つけて、ようやく気が付いた。

「絶望的なくらい、寂しがりやなところ」
「えーなにそれ。俺だって寂しがりやさんだよ」
「勘ちゃんのは、寂しがりやになりたがってるだけでしょうが。…ハチはきっと認めないかもしれないけど、ハチは絶対一人になれない。ハチにはたくさん良いところがあるけど、私がハチの傍に居たいって思うのは」
「八左ヱ門が、寂しんぼだから?」

剣呑な勘ちゃんの瞳が語る。ほんとうに、それでいいの?、と。
だからは私は、欠片の躊躇いを見せることなく、笑顔を浮かべて大きく一度、頷いてみせた。

「ふーん、そっか。じゃあ、そんなに勘ちゃんが良いことを教えてあげよう」
「勘ちゃんが良いこと?」
「あはは、疑わない疑わない。あのね、一昨日の話なんだけどさ。夕方ごろ、ハチが高校の職員室に行ってたらしいんだよね」
「高校の?」
「そ。庄ちゃん情報だから間違いないよ。ま、だからどーしたってことはないんだけど」

勘ちゃんの後輩の庄ちゃんといえば、私たちの母校で現在生徒会に所属している子のはずだ。ということは、勘ちゃんの言う高校というのも、私たちの母校のことを指すんだろう。
高校の職員室、と言われて浮かんだのは、私たちが在学中にもよくその付近を行き来していたハチの姿。職員室の先には、確か――――

「……そっか」
「そーなんです。まあ、はいつか、八左ヱ門に刺されないようには気を付けなよ」
「勘ちゃんもね」

そう言って、私たちはお互いにくすりと笑った。
でもね、勘ちゃん。私は思うの。もしもハチが私を害する日がくるのなら、それはきっと、ハチにとっても私にとっても、ある意味ひとつの最良の終わりなのだと。
ああ、きっと。私の世界はどうしようもなく、倖せなのだ。


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