よりも遠く、心臓よりも近くの君へ







二年B組の転入生は、雲雀恭弥のお気に入り。

体育祭以来、そのうわさは瞬く間に並中内に知れ渡った。
でも、山本の話じゃオレが知らなかっただけで、もともとは転入した次の日からずっと噂にのぼっていたらしくて、体育祭の前と後で大きく何かが変わることはなかった。相変わらずだし、オレの目から見る限りではヒバリさんと逢っている様子もない。

「そうそう、ランボくん上手」
「ガハハハ!当然なんだもんね!ランボさまの手にかかれば、ちょちょいのちょいなんだもんねー!!」

ヒバリさんのお気に入りが、休日にこんなほのぼのお母さんみたいなことをやっているってみんなが知ったら、いったいどんな反応をするんだろう。試してみたけれど、まったく浮かんでこないイメージに早々に諦めて、オレは手に持ったお玉を大きく回した。
火にかけた手元の鍋には、が作ってくれたクリームシチューが食欲をそそるにおいをたてている。友達の子どもの発表会だかなんだかで朝から出かけている母さんに頼まれて、昼飯を作りに来てくれたのだ。今日のメニューはサンドイッチ。当のは、シチューの味付けを終えて今度はサンドイッチの具材作りにとりかかっている。最初はごく普通の野菜とかハムを挟んだものと、あと二種類くらいって話だったのに、途中からランボが手伝い(という名の邪魔)をしに来た結果、いつのまにか手巻き寿司みたいにとりどりの具がテーブルの上には並んでいた。

「すごいね、ランボくん。一回教えただけで、コツ掴んじゃうなんて。すごく助かっちゃったよ」
「オレっち、すごい?」
「うん、すごい。ランボくんがこんなにお手伝い上手なら、奈々さんも大助かりだね」

そう言ってが頭を撫でてやると、ランボは胸を張ってまんざらでもなさそうに大きく笑った。
はすごいと褒めてやったけど、当然のことながらランボが剥いた卵はかなりデコボコで、白身のところどころからは黄色い中身がはみ出しているものが大半だった。でもきっと、は結果がどうだったとしても、こうして手伝おうとしてくれているランボの気持ちが嬉しいんだって言うんだろう。だから、ランボの剥いた卵をいくつかに切り分けて、ボールに移すの表情にはありったけの温かみが籠められていて、見ているこっちの苛立ちまで消し去ってしまいそうだった。

「ん〜仕方ないからランボさん、もっと手伝ってあげちゃおっかな〜」
「ほんと?じゃあ、今度はもうちょっと難しいのを頼んじゃおうかな。あのね、このジャガイモをね、こっちの道具でつぶさないといけないの。上手い人はボールから絶対にこぼさないんだけど…私は苦手でいっつも周りを汚しちゃって…ランボくんにお願いできる?」
「こんなの簡単なんだもんね!」

つぶし機を受け取ったランボが大雑把な扱いでボールの中のジャガイモをつぶしている最中も、ボールを支えたはこっそり角度を変えたり回転させたりしてランボのフォローを欠かさない。母親と子ども。そんな喩えがぴったりなふたりを見て、もしかしてオレも小学生の時はこんなふうに見えていたのかな、と微妙な情けなさが頭に浮かんだ。

ランボとが知り合ったのは、がこっちに戻ってきた七月。だから、まだ二ヶ月くらいしか経ってないくせに、ランボは妙にに懐いているし、もランボに対してすごく優しかった。正確には、は他のみんなともあっという間に仲良くなっていた。初めはポイズン・クッキングを食らわされかけたビアンキとだっていつの間にか打ち解けていたし、山本や獄寺くんとだって違和感なく話してる。ハルだって、のことを「ちゃん」と呼んで慕ってるように見えるし、学校でもクラスメイトらしい人達と楽しそうに話をしているのを見かけたことがあった。

それから、ヒバリさんとだって、


「あ、ツナ」
「っ、ぅハイィ!」
「…どうしたの?声、裏返ってたよ」
「な、なんでもない!それより、呼んだ!?」
「あ、うん。伝えるの遅くなっちゃったんだけど、この間ついに携帯電話を買ったんだ。だから、ツナの番号教えてもらってもいい?」

ランボがつぶし終わったらしいジャガイモをへらで混ぜていたは、心配そうに眉尻を下げた。そんな様子を椅子に乗ったランボはキラキラした目で見上げている。視線に気付くと、は味付けを終えたらしいそれを指で掬って、ランボの口元に運んでやった。

「携帯、買ったんだ」
「うん…連絡取り難いって、暗に言われちゃってね。持っていれば便利だし、良い機会かなと思って」

両手がふさがったままのは、視線でソファーの前にある机の方を示した。ちろちろと燃えていた火を止めて促された場所を見てみれば、シルバーを基調にした二つ折りの携帯電話が置いてあった。あ、これオレが持ってる機種の新しいヤツだ。
「登録しておいた方がいい?」と訪ねたら肯定と依頼の言葉が返ってきたので、遠慮なくオレは閉じた携帯を開いた。おそらく買ったあとから大していじっていないんだろう。液晶の画面には会社のロゴが入った映像と大きなデジタルの時計が表示されている。新機種とは言えボタンの配置が大きく変わっていることもなく、オレは慣れた手付きで電話帳の画面を開いた。


「あ……っ」


そこに現れた唯一の名前に、時間が止まった気がした。
たった四つの漢字。けれど、それが登録されてる携帯って、並中内に何台あるんだろう。しかも風紀委員以外でって言ったら、かなりレアなんじゃないか?
携帯を握った手には、なぜか知らないけど力が入っていて、オレの番号を登録しなくちゃって思うのにボタンを押すための指は震えていた。

それから、ヒバリさんとだって、は。
ついさっき、頭に浮かんだ言葉がもう一度はっきりと表れる。オレにとってはまだただの噂だったはずの出来事が、確実なものとなって目の前にやってきた気がして、さっきに消されたはずの苛立ちがまたぼんやりと湧き上がってくる。
なんだ、これ。どうしてオレ、に対してイライラしてるんだろう。
一年と半分ぶりに再会したは、別れた時よりも少しだけ大きくなっていたけど、根本の部分では全然変わってなくて、ちょっとした仕草や表情なんかスライドさせたみたいにそのままだった。持ってるものだって同じだったし、休みの日にこうして遊びに来てくれるとこだって変わってない。
変わらない、そんなことあるわけないってわかってても、やっぱりだった。
背が高くなっていたって、髪が伸びていたって、顔が少し大人っぽくなっていたって、であることはなにひとつだって変わってない。それが二ヶ月、もう一度と過ごしたオレが辿り付いた結論だった。

それでも、やっぱり変わってしまった。

正反対の感想が、カラカラに乾いた喉の奥で出口を探して彷徨っている。
はなにも変わっていないのに、変わってしまった。
年齢。通う学校。増えた家族。赤ん坊の家庭教師にその愛人。牛柄の殺し屋。新しく出来た友達。獄寺くんに山本。に、興味をもった人たち。雲雀、恭弥。

オレたちを取り巻く全てが、変わってしまったから。


「ツナ?登録できた?」
「い、今からやるところ!」

いきなりかけられた声に、握っていた携帯電話が飛び出るかと思って心臓が飛び跳ねた。嘘を吐けば、は「ごめんね、手間かかること頼んで」と曖昧に微笑んで、もう一度ランボの方へと向きなおる。いつのまにか、ミルクの温かな香りがまた部屋のなかに漂っていた。温めなおしてるってことは、もうすぐサンドイッチも完成するみたいだ。
どれだけ、見たくないものが表示されてる携帯だって、これはのものだから、オレがどうこうするなんて出来ない。オレが信じることができるものなんて、オレが見ていられるものなんてたったひとつ、今目の前にいるの存在だけだから。だから、納得いかない気持ちはまだ大きく心の中に残っていたけれど、気付かないふりをしてオレは、新規登録の画面の開いて自分の名前を打ち込むことに集中した。



top
※体育祭から数日後の休日にて。