の目に映る僕が、何時だって

背を伸ばして凛としていますように







「あら、ツっ君!丁度よかった。お隣さんを夕ご飯に誘ってきてくれる?」
「………お隣さん?」

そろそろ夕飯の時間だろうと台所に入ると、上機嫌な母さんがオレに言った。

お隣さん、と言われて真っ先に頭に浮かんだのは、右隣の家に住んでいたひとつ年上の幼馴染の顔だった(逆隣は道路だし)だけど彼女の家は今は空き家で、誰もいないことは夕方になっても電気のついていない家を見れば明らかだ。
誰?とオレが悩んでいると、母さんはフライパン返しを持った手をポンと打った。

「そういえば、ツナにはまだ言ってなかったかしら?ちゃん、今日帰ってきたのよ」
「え…って、あの!?な、なんで教えてくれなかったの、母さん!!」
「言い忘れちゃったのよーごめんね、ツっ君」

言い忘れちゃったって、ふつー忘れないだろ!そんな大切なこと!詰め寄ると、母さんは「でもちゃんが帰ってきて嬉しいでしょ」といきなり話をすり替えて、にこにこ笑いながらフライパンを揺すった。

オレの家の隣に住んでる幼馴染。名前は
今から一年半くらい前、が小学校を卒業するのと同時に親の仕事の都合で海外に行ってしまった幼馴染とは、それ以来まったく連絡をとってない。というか、とりたくても取れなかった。だって、はオレに何の連絡先も教えて行ってくれなかったから。
性別も年齢も違うけど、家も隣だし親同士の仲もよかったから、オレとは小さい頃からよく遊んだ。何をやってもダメダメなオレと違って、は頭もよかったし運動神経も中より上。のお父さんの趣味で護身術を習い始めてからは喧嘩も強くなって、よくオレが絡まれてるのを助けてくれたのもだった。
オレ以外にいくらだって友達も作れるだろうし、もっと他にやることもあるだろうに、それでもとオレはよく一緒にいてくれたっけ。オレもと一緒に遊ぶのが楽しかったから、がいなくなったあとはすごく寂しかったのを憶えてる。

そのが…帰ってきたって?
母さんの言葉を再認識してから、オレは窓を開けて隣の家を確認する。…あれ、やっぱり電気ついてないじゃん。

「母さん、でもん家、電気ついてないよ!」
「本当?じゃあ、疲れて寝ちゃってるのかしら。今朝ねぇ、ちゃんだけ日本に帰ることになったって、陽那ちゃんから電話があったのよ。片付けも大変だろうし…母さん、今日はお手伝い出来なかったからちょっと心配だわ」
「えぇっ!?じゃあ、ひとりで帰ってきたの!?」
「なんでも、仕事の関係でちょっとちゃんとは一緒にいられなくなっちゃったんですって。だからツナもちゃんのこと気にしてあげるのよ」

仕事の関係でちょっとちゃんとは一緒にいられなくなっちゃったんですって。
母さんはさらっと言ったけど、それってすごい大変なことなんじゃないか?だ、だってはまだ中二で、そりゃオレなんかと比べものにならないくらいしっかりしてたけど、でもやっぱり中学二年の女の子で。

気がつくと、オレは台所を飛び出して玄関で靴を履いていた。

「母さん、オレちょっと行ってくるから!」
「ちゃんとチャイムは鳴らすのよー」
「わかってるよ!!」

そういえば小学生のころは、チャイムなんか鳴らしたことなかったんだっけ。
の名前を聞いた途端、今までずっと忘れてたことが次から次に浮かんでくる。
二階にあるの部屋で、夏休みの終わりごろはいつも宿題を一緒に解いてもらってた。冬にはうちでこたつに入って蜜柑食べて。
は変なところで不器用で、蜜柑の皮を綺麗に剥くのが苦手だったっけ。いつも小さく千切れた皮がテーブルの上に重なってて、オレが剥いたあとの繋がった皮をみて悔しがってた。そのあと更に三つも蜜柑を食べたのに、は一度も綺麗に皮を剥けなかったんだ。手先が不器用なわけでもないのに(家庭科の成績は5だったし)なぜか果物の皮を素手で剥くのが苦手。知ったときには、オレでもに勝てるところがあるんだって、ちょっと嬉しかったんだ。

の家はすぐ隣だから、十歩も歩けば黒い色をした門に着く。
すぐ脇にある郵便受けの上の表札を見てみれば、昨日までなかったはずの「」の文字。ああ、本当に、が帰ってきてるんだ。

一年半前まで、毎日のように開けていたはずの門が、今日はなんだか重たくて。オレはぎこちなく取っ手を握って門を押し開けた。
近くでみても、やっぱり家の電気はひとつもついていない。どうしたんだろう。帰ってきた早々どこかに出かけてるのかな。
とりあえず、居るか居ないかだけでも確認しようと思って、玄関脇のチャイムボタンに指を伸ばす。こういうのって、ただ押せばいいんだよな。何度も通ったドアなのに、初めて体験する行動になんでかすごくドキドキした。

これを押したら、が出てくるのかもしれない(いや、普通に考えて出てくるだろ)
一年半ぶりに再会する幼馴染。オレは小学五年から、身長がちょっと伸びたくらいで大して変わっていないけど(あ、マフィアのボス候補に選ばれたりはしてるか)、はどのくらい変わっちゃってるんだろう。
もしかして、オレのこと忘れたりはしてないよな。
顔合わせたら「誰?」なんて首傾げられたりしたらどうしよう。そう考えた途端、ボタンにのばした右手が氷みたいに固まった。

「……っ」

こわいんだ、オレ。
もしかしたらは、海外に行ってた一年半でオレなんかよりずっと仲のいい相手をみつけてるかもしれない。そうしたらオレなんかと仲良くする必要なんて全然なくて。いや、もしかしたら小学生のときに遊んだだけのオレなんて、最初から憶えていないかもしれないんだ。

オレは、こんなにのこと憶えてても。
はオレのこと、忘れちゃってるかもしれないんだ。

子どものくせに落ち着いていて、オレより年上なのに変なところでガキっぽい。
オレの憧れで、オレの大事な幼馴染で、ずっとオレの隣にいてくれた人。

左拳をきつく握って、オレは固まったままだった右手でボタンを押した。
こわい、と思う気持ちにはなんの変わりもない。はオレのことを憶えてないかもしれないって可能性は否定できないし、再会できたって昔みたいにオレに構ってくれないかもしれない。
だけど、それでもオレは、に逢いたいと思った。
こわいし、無視されたらやだし忘れられてたら最悪だけど、たとえそうだとしても、ちょっとだけでもいいから帰ってきたの、大きくなったの顔がみたい。そう、思った。

ピンポンとチャイムが鳴ってからしばらく待っても、家の中からはなんの反応もない。もしかして、やっぱり留守だったりするのかな。あれだけ意気込んで押したのに、そうだったら空しいな、なんて考えながらもう一度だけとボタンを押した。


「は、はーい!」


家の中から聞こえた声に、心臓が飛び出すかと思った。

の、声だ。
なんにも変わってない。それは、一年半も経つのに全然変わってないの声だった。

ドクドク大きな音で鳴ってる心臓に気をとられていたら、目の前の木製のドアがゆっくり動いた。その向こうに、誰がいるのかなんて見なくたってわかる。だけど、隙間から懐かしい黒髪が見えた瞬間、オレは見慣れてたはずのから目を逸らすことができなかった。

「あ…あの」

第一声、口から飛び出たのはそんな情けない声。あーもう!オレって、なんでこうなんだ!
久々に見たは、あんまり変わってなかったけどほんの少しだけ大きくなっていた。
オレの中の記憶では短く切りそろえていたはずの黒髪は肩を越す位に長くなってて、くっきりした二重が特徴的な瞳も以前よりずっと落ち着いているように見える。

一年半。大きく変わるには短いけど、なにも変わらないなんてできっこない確かな時間。
それを目の前に思いっきり突きつけられて、どうしていいのかわからなかった。
言いたいこと、沢山あったはずなのに。なんで連絡先教えてくれなかったんだとか、手紙くらい送れよとか、文句はいくらだってあるはずなんだ。
なのに、の顔を見た途端。それ全部が綺麗さっぱり消えちゃって。
オレはなんていえばいいんだろう。
に今、言うべき最初の言葉が、どうしても見つけられなかった。

「…沢田、ツナ…ヨシ?」
「っ!そ、そうだよ!なんだよ、その反応!1年半くらいで忘れるなよな!!」

だから曖昧にオレの名前をが呼んだとき、ただ頷けばよかったのにオレは大声で叫んでいた。は一瞬、泣きそうに顔を歪めてオレを見る。ああ、もしかして、もオレとおんなじなのかな。なんて言ったらいいのかわかんなくて、久々に逢ったオレに(オレが変わってるとは思えないけど)戸惑って。

今度はさっきより小さな声で、の名前を呼んだ。
は、昔みたいにちょっと落すみたいに柔らかく笑って言った。

「ごめん、ツナ。忘れてなんかないよ。ただ、思ったより大きくなっててびっくりしただけ。
 …でも、ツナだって最初呆けてたよ」
「そっ、それは…がなかなか出てこなかったから」
「あー実はちょっと寝ちゃってて。やっぱり、帰ってきたばっかりで疲れてたみたい」
「え、じゃあ片付け全然済んでないの?夕飯の準備とかは?」
「うん。まだダンボール箱のまま。夕飯もどうしようかなって」

よかった、じゃあ夕飯に誘っても大丈夫だ。
なんか無性にほっとして、気がつくと大きく息を吐いていた。

安心したのは多分、を夕飯に誘えるからじゃなかったんだろう。
それは例えば、笑い方が変わってないことだとか。喋り方がおんなじなことだとか。
オレのこと憶えていてくれたことに、きっとほっとしてたんだ。

は今も、相変わらず落ち着いていて、だけど片付けも忘れて寝ちゃうところなんか自分にすごく正直でどこか子どもっぽい。
それでいて、オレの名前をいつも、呼んでくれるんだ。


ああ、そうだ。不意に、頭に浮かんだ言葉があった。
一年半の時間を空けて、やっと逢えたに伝える言葉。一年と半分、のこと思い出さなかった日がなかったなんて言えないけど、忘れたことはなかったよ。
家族みたいに側に居て、友達よりもオレのこと知ってくれている人。
隣に居てくれることが当たり前すぎて、久々に顔をみたら戸惑ってしまう人。
だけどやっぱり、これまでもこれからも、ずっとオレにとっての最短距離。

だから、家族にいつも言うように。オレはに言うべきなんだ。



 おかえり。



オレの隣に、また帰ってきてくれてありがとう、



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※なんで一年半空き家だったのに泥棒さんが入らなかったのか、とか
 一人暮らしで防犯大丈夫なの?とかは追々説明していくつもりです