(たとえ世界が終わっても、君だけが僕の隣にいてくれれば)
窓から差し込む夜の色が僅かに変わりはじめたころ、骸は目を覚ました。
部屋の中はまだ暗く、徐々になれた視界が捉えたベッド脇の時計も目覚めるには早すぎる時刻を指している。なぜ、こんな時間に目が覚めてしまったんだろう。暗闇に染まった白い天井を眺めること数拍、骸は自分の手の中にあるはずのぬくもりが消えていることに気付いた。
「…っ」
掠れる声で名前を呼び、左隣に視線を向ける。瞬間、小さく開いた口からは情けないほど素直に安堵の息が溢れていた。
骸のすぐ隣で眠るは、穏やかな表情のまま静かに呼吸を繰り返していた。夜にも映える白い頬に手を伸ばせば、触れた指先から確かな体温が伝わってくる。彼女が、今ここにいる証。幻でも夢でもない、現実の倖せに自然と口元が綻ぶ。
手のひら全体で覆うように頬を撫で続けていると、不意に呼吸とは違う音が彼女の口から零れた。
「ん…む、くろ?」
「ええ、そうですよ」
「もう…朝、だ…っけ」
「いいえ、まだ大丈夫です」
「そっかぁ」
薄っすらと開かれた瞼から覗く彼女の闇色の瞳は、まだ眠りの淵に居るせいか泣いているように潤んでいて、衝動に駆られるままに骸はを抱き寄せていた。
普段ならば驚きを露にみせるくせに、眠気に勝るものはないらしくは少し身じろいだだけでそのままぴたりと骸に身体を寄り添わせる。
首元に当たる彼女の柔らかな髪に、鼻をくすぐる香りに、すでに覚醒しきってしまった頭がぐらりと揺らいだ。
「んー…」
「?」
「むくろ…あったかい」
どこか覚束ない口調の声音は、まるで風がそよいでいるようで。背中に回した腕に自然と力が籠もってしまう。
ともすれば、風のようにどこかへ消えてしまうほどに彼女は儚いから。今、この腕の中にがいる、その事実を噛み締めるように骸は更にきつく抱きしめた。
未だに骸は、ときおりこの温もりが幻なのではないかと疑ってしまうことがある。風のように儚く、空気のように不確かな彼女は気が付くと骸の前から忽然と消えてしまいそうになるのだ。何も告げず、何の素振りも見せず、そして何も残さずに。最初からいなかったように跡形もなく消えてしまいそうな雰囲気が、ずっと昔から彼女のまわりには蔓延っていて、こうして触れている瞬間だって不安に襲われ続けていた。
少なくとも、この夜が明けてしまえば彼女は骸の前から去る。朝一番でボンゴレのボスに呼ばれていると眠る前に言っていたことを思い出し、骸は腹立たしげに瞼を伏せた。という存在は間違いなく自分にとって唯一無二の存在だが、彼女のことをそう思っている相手は自分だけではないのだ。忌々しい。彼女のまわりを取り巻くものなんて全て、自分以外全てなくなってしまえばいいのに。
「むくろ…?どうか、した?」
「ああ、起してしまいましたか」
「ん…なんか、骸が泣いてる気がしたの」
腕の中で、は消え入りそうな声で囁く。いまだ目蓋が半分閉じているところから察するに、おそらく完全には覚醒していないのだろう。はゆっくりとした動きで手のひらを伸ばし、そっと骸の頬に触れた。
「どうしました、」
「骸…ここに、いる?」
「もちろん。今、貴女は僕に触れているでしょう」
触れている。そう言ってはみたものの、骸の頬に残るのは、指先が微かに掠める程度の感触だけだった。まるで触れることに怯えているように、は揺れる瞳で骸の顔を見上げる。そうだ、彼女は怖れている。昼間の彼女からは想像もつかない弱々しい顔をしたに幾たびか触れ、骸は知った。彼女は、人に触れることを怖れている。本当は世界中の誰よりも、他人の温もりを求めているくせに。
気が付けば、心中に広がっていた暗い感情が端からだんだんと照らされ、腕に籠もる力も緩く優しいものになっていた。骸は背に回した一方の手で、自分の頬に伸ばされたの手のひらを覆うと、そっとはにかむように微笑んだ。
「感じませんか、体温を」
「うん…ちゃんと、あったかいよ」
確かめるようにもう一度、「あったかい」と零して。は啼くような声で呟く。
「だから…ここに、いてね。消えたり、しないで」
再び、彼女の口から漏れる息が規則正しいものに変わったことを確認して、骸はもう一度の頭をしっかりと抱き寄せた。
消えないで、と夢を見る彼女は言うけれど、消えるとしたら自分ではなく貴女の方だ。そう、告げられたならばどんなに楽か。いつだって、狂おしいほどに愛しいと祈っている自身の感情がどれだけ彼女に届いているのか。ただそれを確かめるように、伝えるように骸はの温度に触れ続けた。
「僕が、貴女を逃がすわけがないでしょう」
だからどうか、願わくば貴女も。
互いの距離がゼロになっても消えることのない不安と恐怖を抱きながら、それでもそこに確かにある体温に安堵して。
脳裏に浮かんだ唯一の願いを伝えるように、骸はの額に口付けを落とす。触れた唇が感じ取った子どものような体温、それだけが、世界の価値そのものにみえた。