(夢をみた。 だから心底、世界を嫌いになりたかった。)
「何を読んでいるんですか?」
「…骸には関係ないと思う」
窓際でぼうっと本の頁をめくっていたら、ここにいるはずのない人の声がした。
視線だけを動かして姿を確認してみると、やっぱり声の主はこの場にいるはずのないあの人で。まあ、別に彼の場合は世の常識とか定理とか全部逸脱しちゃってそうだから、こういうことがあっても可笑しくないとは思うけど。でも、一応人は人なんだし、それなりに当たり前でいてくれてもいいんじゃないかと思ったりしてしまうわけで。
西日が射しこむ並盛中の図書室に突如として現れた六道骸は、私になんの断りもなしに向かい側の席に座った(別に私の私物じゃないから許可なんていらないけどね)
「…何か用?」
「冷たいですね、今日は。貴女のご機嫌を損ねるようなことを僕はしてしまったでしょうか」
「特にはしてないと思う、けど 」
「それはよかった。貴女に嫌われてしまったら、僕は生きていけませんから」
「口説き文句は好きな女の子にお願いします。
大体、骸が生きてけるかどうかはどうでもいいけど、並中内にいるといつ雲雀が嗅ぎつけてくるかしらないよ。ああ見えて、一応うちの学校の風紀委員長だし」
「僕を心配してくれているんですか?…貴女に想われるためだったら、彼とまた相対するのもいいかもしれませんね」
出来るだけ、骸の方を見ないようにと意識を手元の本に無理やり戻す。
何を馬鹿な。そう、頭では思ってるはずなのに、少しだけほだされてる自分がどこかにいるような気がして、何だか気持ちが落ち着かない。
冷たくなんてないよ。ただちょっと、びっくりしただけなんだから。
嘘でもそういったら、骸は喜ぶんだろうか。ちょっとだけ試してみたいような気もしたけれど、やっぱり嘘を吐くことが躊躇われたからやめた。偽善者。自分で自分を罵った。だって、嘘なんか今まで何回も吐いてきたじゃないか。
「フロイト、ですか?」
「……」
「夢診断がしたいのでしたら、僕が話を聞いてさしあげますよ?」
「…間にあってます」
なんか腹立つ。まるで、僕にはなんでもお見通し、とでも言われているみたい。
違う、そんなことあるわけない。だって、私のことは私にしかわかんないはずだし、骸には話したことだってない。だから骸が見通せるわけなんかない。ああ、なんでだろう。骸のことなんて考えないように、って思ったのに。どうしてこんなに考えてるんだろう。ダメ、ダメだ。考えちゃダメ。この人は人間の形をした麻薬みたいなものだから。ちょっとずつ、頭の中に侵食してきていつのまにか忘れられなくなるの。ツナも私もそうだった。できることなら、忘れちゃえたら楽なのに。骸なんか知らないよ、ってなかったことにできたら気楽に生きていけるのに。
「僕のことを、夢にみてくれたんでしょう?」
「っ!」
「クフフ…どうしてそれを、という顔をしていますね。わかりますよ、。貴女のことならなんだって」
だって、貴女のことを愛していますから。
左の頬を夕焼けで紅く染めながら骸が言った。黙っていれば(甘い言葉を囁いてれば)格好良いって思えるのに、どうしてこの人はこんなにも"ヒト"ではないんだろう。不思議、とても不思議。だってこの人は、私のことを愛しているなんて言う。世界中に嫌われて罵られて殺されてしまっても可笑しくない私のことを愛してるなんて。あんな綺麗に笑って、吐く台詞ではないでしょうに。
いつのまにか、視線は骸の方を向いていた。この角度、顔までの距離感。昨日みた夢とおんなじだ。いったいなんのお告げだろうって、夢診断の本を片っ端からめくってみたけど結局答えは見つからなかった。今、目の前にある"これ"が答えとでもいいたいの?記憶の羅列、思考の整理、もしくは深層心理が願った願望。どれも、とても信じられない。ねえ、骸。私は貴方の前でどんな顔をしているのかな。私の目に映った貴方はなんだかとても綺麗で、だからとってもこわいんだよ。世界の終わりって、きっとこんなふうなのかもしれない。赤と青、隣り合わせの(だけど対象的な)二色をみつけてそう思った。
「…世界なんて、単色でよかったのにな」
「おや、これはまた随分と物騒ですね。色のついた世界は嫌いですか?」
「別に、どっちでも。ただ…単色の世界では、骸の瞳も一色なんだろうな、って思っただけ」
「貴女がこの色を嫌いだというのなら抉り出しますけど」
「結構です遠慮しますむしろ取っちゃうくらいならツナのために役立ててください」
「…貴女は、本当にボンゴレばかりですね」
だって、それしかなかったから。
零したら「今は違うのでしょう」と優しい声で諭される。違うよ、そうじゃないの。それしかなかったのは過去だけど、今はもうそれすらもないの。そう言ったら、骸は少しだけ淋しそうに目蓋を伏せた。まただ。また、私は誰かを傷つけてる。ねえ、骸。私は貴方が嫌いなんじゃないんだよ(好きでもないけど)ただ、貴方は私を嫌いになったほうがいいと思ってるだけ。ううん、違う。本当は世界中がみんな、私を嫌いになったほうがいいの。そうしたら、何も考えずに(なんの未練もなしに)世界の終わりをみに行けるから。
「駄目ですよ」
「…骸?」
唐突に、骸が机越しに腕を掴んだ。骸の手の平にすっぽり収まった手首が痛い。力が籠められてるんだ。「逃がさないよ」そう呟く、骸の声が聞こえた気がした。
「…何が、駄目なの?」
「僕の傍を離れて何処へもいかせませんよ、。貴女は僕のものだ」
「違うよ。私は誰のものにもなれない」
「いいえ、それこそ違います。貴女は ―――――― 僕のものだ」
容赦も迷いもない。ついでに逃げることも許さない断定の言葉が心臓を貫く。お願いだから、そんな真剣な顔をしないで。私のことを、そんなふうに呼ばないで。考えたくもない、誰かに想われる自分なんて。そんなもの、夢の中に置いてきてしまったんだから。
何も見ず、何も聞かなかったことにしたくて必死に眼を閉じ顔を逸らしたのに、掴まれた腕だけはどうしても外すことができなかった。手首を通して伝わる骸の体温が言っている。これは夢なんかじゃないって。現実なんだって。そんなこと、教えてくれなくたって構わないのに。
「痛い…はなしてよ、骸」
「嫌です。…そうですね、貴女が僕に囁いてくれたならはなしてあげてもいいですよ」
あいを。
そんなこと無理だよ、って言えたらいいのに。手首と手の平で骸と繋がったまま、私は何もいえなかった。
ただ、あいを。
それだけを求めた骸に、あいなんて求められない私は不釣合いすぎて。きっと壊してしまうから。ただ一度、夢の中で色のない貴方をみただけで、貴方の消えてしまった未来を想像してしまった私には、きっと世界は眩しすぎる。だって、こんなにも世界は私に冷たく残酷で、厳しいから。
「…あいを、私は口にできません」
「そう、なのでしょうね。ボンゴレ以外には、でしょうけれど」
「ツナにだって言えないよ。きっと、誰にも言わないよ」
死ぬまでずっと、あいなんて誰にも口になんて出来ないよ。
それはきっと、誰かをあいせる権利を与えられたヒトにだけに許された特権(私にはないから)骸はただ静かに、私の手首を握ったままゆっくりそれを彼の口元に運ぶ。唇が指先に触れたとき、さっきまで温かかったはずの手首が、急に冷たく凍えた気がした。赤い眼を伏せ、骸が言った。
「愛していますよ、。僕は永久に、貴女のものだ」
そして貴女は、僕のものだ。
色のついた世界の中で、単色の瞳をした骸がまた確かめるように唇を落す。
「これは誓いの口付けですよ」と彼が言うから、私は両目をきつく閉じて呟いた。
「誓いません。」