きみの姿が遠すぎて






神様は不平等だ。
神様は不公平なくらいに不平等で、信じられないくらいに不平等で、清々しいほどに不平等で、嘆き叫びたくなるくらいに不平等で、バカバカしいほどに不平等で、それから笑えるほどに不平等だ。ここまで不平等が過ぎるからこそ、いっそ人間は神様なんて不確定で曖昧で不可視の存在を信じることができちゃったりなんかするんだろうか。私はそれほど信じてはいなけど。だけど、そう言いつつもやっぱりときどき「ジーザス!」と叫んでしまうこともあれば、誰の名前を呼ぶわけでもないのに手の平を合わせてしまうことだって皆無というわけではない。不平等で不公平で不確定で不安定な彼、若しくは彼女に文句を言ってしまうこともあれば、不本意ではあるが頼りたくなってしまうことだって、ないわけではない。

「ごめん、良く聞こえなかった。もう一回言ってくれる?」

耳に軽く押し当てた電話が冷たい。金属が冷たいは当たり前で、それがついさっきまで冬の窓際に置きっぱなしにしていた所為だということもわかっている。わかっているけれど冷たいものは冷たい。携帯電話がこの世に姿を現してから何十年たったと思っているんだ。そろそろ会話の内容に合わせて本体の温度を変える位の機能、つけたって誰も文句は言わないんじゃなかろうか。たとえば楽しい会話の時は暑く。行き過ぎたら冷やすとか。感情はコントロールされるべきだ。人間は結局のところ動物の中の一種類でしかない。何処まで行ってもそれは不滅の事実で、ひっくり返せない真実で、紛れもない現実。人間は動物をどうしてるだろう。首に縄をつけて、鎖で繋いで、躾をする。同じことをしたって、きっと誰も文句を言えないだろう。ああ、私は言うかもしれないけど。
そう。結局のところ人間はどこまでいっても動物で、本能を持った生き物で、理性なんで真夏の炎天下のかき氷みたいなものでしかないから。電話の向こう、電波を通じて鼓膜を揺らす音の波に、プチンと感情爆発させたとしても、なんら可笑しなことなんてない。はずだ。

「あんた、それ本気で言ってるの?」
『…当たり前だろ。僕がそういう冗談、言うようにみえるのか』
「見えないけど。でも、たまにはそいういうのもアリじゃない?むしろ今回はアリにしといてよ」

握りすぎた電話が叫ぶ悲鳴が相手に聞こえてしまえばいいのに。いっそのこと、ものにしか当たれない苛立ちそのものが届いてしまえばどれだけいいか。座った場所、ベッドの上で白いシーツを頑なに握り締める。ハウスキーパーの手で神経質なまでに皺なく伸ばされた布地に浮かび上がる、幾重の歪み。刻みたいのはシーツにじゃない。あんたによ、あんた。ここで幾らしかめっ面をつくったところで映像を届けてない以上無駄だとわかっているくせに、自然と眉は寄り目蓋は重くなるものだ。細い目で睨めば、いつでもあいつは怯んだのに。ああ、こんなことなら風呂あがりだとかそんなもの気にしないで、顔を見て話せばよかった。そしたらあいつも少しくらい、私みたいになってくれただろうか。

「正一。あんた、意味わかってるのよね」

宣言した言葉の意味。本気だと言った単語の意味。それが生じさせるかもしれない未来の意味。正一は私なんかより頭がいい。そんなことはデータにされずとも今更言われずとも知っている。けれど、頭が良いことと賢いこと、馬鹿なことと愚かなことの意味が違うことはすでに明白。総合的に私がどちらに分類されるのかなんてそんな戯言は聞きたくないし分析もされたくないが、正一がどちらに分類されるかと問われればかなり危うい位置にいるんじゃないかと私は思っている。正一は頭が良い。正一は馬鹿じゃない。でも、正一はときどきとても賢いとは言い難い選択をする。たとえば頭がいいのに、私と同じ高校に通っちゃったこととか、大学入試の前々日に行方不明になったこととか、今回のこととか。
けれどおそらく、それを私が正一に言えばそんなのお互いさまだとか、の方がひどいだろ、とか言われることは目に見えていた。否定はしない。私だって、自分のしてることをときどき振り返っては「馬鹿じゃないの」といいたくなることがあるから。むしろ、現在進行形で言ってやりたい。なんで、こんなことになっちゃってるわけ?数年前の「」は平凡な学生で、成績は中の下、運動神経は中の中、平凡さだけなら上の特上だと胸を張れるような人間だった。過去形だけど。だって、今の私が平凡なんて一言でも口にしたら、間違いなく世界中多種多様な人種の代表者が挙って嘘だと指さしにやってくるだろう。大輪のラフレシアが道端に咲いていたら誰だって変だ!と叫ぶ。同じことだ。誰だって、マフィアの幹部に名を連ねている女が平凡なんて口にしたら、嘘だと言うに決まってる。

「その結果、私とあんたがどういう関係になるのか、ちゃんとわかって言ってるのよね」

自分が今、平凡とはほど遠い生活を送ってしまっていることは、理解している。だから、まだ平凡な正一と昔みたいに逢う機会は少なくなったしこうして電話をしているときだって常に誰かに聴かれていることを想定してしまっている。けれど、これはこれで最悪には程遠いからまだやっていけてるんだと思っていたけれど。

「私はボンゴレ。あんたはジェッソ?本気で?」

だから何度だって聞いてしまう。電波の向こう側、正一は何も言わない。直訳したら浅蜊と石膏。どう考えたって、相容れる同士じゃない。現実ならば尚更だ。

『………だよ』
「え、なに?」

掠れた声は間違いなく私の聴力の所為でも電波の所為でもない。正一自身がはっきりと口にしなかった、それだけだ。だから私が聞き返せば、正一はとてもとても彼らしい口調で言った。

『本気だよ!だって、だって本気だったんだろ!?僕になにも言わないで相談もしないでこんな世界に入ってさ!』

あーあーそれ、世間一般じゃ逆ギレって言うんだよ。怒りたいのも怒鳴りたいのもこっちの方で、原因をつくったのは問答無用でそっちなんだから。でも、そんなこと指摘なんかしてやらない。だって今、正一は言ってしまった。誰に聴かれているかもわからない、どこが味方でどこが敵かもわからない恐怖と不安と暗闇と殺戮と報復と哀哭でコーティングしたような世界に入ると、言ってしまった。宣言してしまった。断言してしまった。それも、他でもない私と、相反する場所で。

「………バカね、正一」
に言われたくない』
「なにいってんの。私だから言うのよ」

他でもない、あんた自らが決別を告げた私だから、言うのよ。さっきよりも力の抜けた声で言えば、スピーカーから聞こえたのは正一の息を呑むノイズ。
私はボンゴレ、あんたはジェッソ。相容れない両者で、私達の未来はどうなるんだろう。考えたって仕方がないとわかっていながら想像してしまうのは愚かな証拠だろうか。ジーザス。ほら、また無意味に神様に祈ってる。信じてないって言ってるくせに、選んだことを後悔している。
神様は不平等だ。だけど、同時にどうしようもなく気紛れに平等だ。だって、私と正一と、両者に同じだけの選択の機会を与えてしまった。それもとっても陳腐で憎らしい選択肢を。どこにでもいるような社会人とその幼馴染に、マフィアなんて職につく機会が与えられる確率は全世界で何パーセントなんだろう。いったい何組の幼馴染が、マフィアで敵対しているんだろう。神様は、不平等だ。どうしてそれを、わざわざ私と正一に、当てはめてしまったのか。

電話越し、私も正一も次の言葉を探してる。それが他愛のない会話であるべきなのか、それとも完膚なきまでの決別であるべきなのか、私にはわからなかった。
もしかしたら、最期になってしまうかもしれない正一の言葉。
不公平で溢れた世界で、互いに低確率な明日を選んでしまった不倖をなんと叫べばいいだろう。
叫んだところで救いも逆転もないとわかっていながらも、それを探さずにはいられない自分を嘲って、息を吸う。神様。決別の、友愛の、告白の、懺悔の言葉は、まだみ得ない。






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※八年後くらいの入江少年と。お相手は入江少年の幼馴染でツナたちの旧友。