「君は、俺のことが好きかい?」
それは丁度、真夜中を過ぎたころだった。
部屋の中は真っ暗で、カーテンを閉め忘れた窓から注ぐ月の明かりのお蔭でなんとか互いの姿を確認することができた。
眼と鼻の先にあるアルフレッドの顔を見上げて、はもう一度先ほどの言葉を考える。
君は、俺のことが好きかい?
彼は、間違いなくそう言った。部屋の中にある大きなひとつのベッドの上で、互いの距離を限りなく零にした状態で。
の小さな手のひらは、アルフレッドの熱を帯びた背中に回されているし、アルフレッドの大きな手のひらだっての冷たい背中を包むように覆っている。ほんの少し前に時間を遡れば、それぞれの身体はもっと近くまで寄り添って、繋がっていたはずなのに。この人は、なんてことを口にするんだろう。思わずは、ぷにぷにとした彼の背中を思い切り抓んでやりたい衝動に駆られた。もちろん、そこはなけなしの大和撫子精神を駆使して、彼の顔を睨みあげるに留めたが。
「アルフレッドさんは、私のことを誰とでもこんなことをするような、軽い女だと思っているんですか?」
「……俺以外ともしてるのかい?」
「しています、って言ったらどうするんです」
「相手の男を殺して、君をここに閉じ込めるんだぞ」
悩むことなく紡がれた言葉に、の喉からは冷たい息が零れる。背中にかかる力が強くなったのは気のせいだろうか。剣呑な色を瞳に映して、アルフレッドはにこにこと笑みを湛える。敵わない。は少しだけ腕の中を這い上がって、彼の顔に自分のそれを近づけた。
「そんな相手、いるわけないじゃないですか。アルフレッドさんとは違います」
「…俺だって、以外いないんだぞ」
「大丈夫ですよ、慰めていただかなくても。マシューくんやアーサーさんに伺ってますから」
「あの二人…」
「怖い声を出さないでください。私よりもずっと長い時間を過ごしているんですから、当たり前のことじゃないですか」
むしろよりも百年単位で年上な彼が「未経験です」と言ったところで信じられるわけがない。"国"という存在で、永遠にも近い生を持っていて、人間とは違う枠で生きているけれど、彼らには心があるし、人間と同じような欲求もあることをは知っている。それにアルフレッドは十中八九が格好良いと称するであろう整った顔立ちをしている。彼が求めなかったとしても、周りが彼を放っておかない。それくらい、数十年しか生きていないにだって、考えるまでもなくわかることだ。
だから彼の初めてが自分でないことを、悲しいと思うことはなかった。もちろん、悔しいと想わなかったわけではない。は聖人君主でもなければ女神でもないから、目の前にいない想像の中の見知らぬ美女に嫉妬だってする。少なくとも今は、自分だけを見ていて欲しいと我が侭なことだって考える。
それもこれも全部彼のことが、アルフレッドのことが好きだから、だ。
「…アルフレッドさんこそ、私のことをどう思っているんですか」
少しだけ卑怯だと思いながらも、眼を伏せて彼の問いに答えずに問いかけを返した。
背に回されていた腕の一本がゆっくりと髪まで移動して、汗で湿った前髪を優しく払う。なんだろうとがもう一度彼を見上げると、海を溶かし込んだ色の瞳が暗闇の中で静かに佇んでいた。
「俺が今、欲しいと願ってるもの、なんだと思う?」
「…さあ、なんでしょう。核兵器のない平和な世界ですか?」
「ははっ、それもいいね。でも、それは俺の上司が掲げてるものだろう?俺が欲しいものは、もっとシンプルでキュートなものさ!」
ねえ、わかる?と艶のある声で囁かれれば、虚勢を必死に張ったところで体温が上昇してしまうのがわかる。今頃、暗闇でもわかるくらいに自分の頬は紅潮していることだろう。それを隠すため下を向こうとしたけれど、髪に触れていた手で顎を捕まれ顔を逸らすことは許されなかった。
「どうして答えてくれないんだい?」
「わ、わかっていて尋ねるのは卑怯ですッ」
「ちゃんと言ってくれないとわからないから聞いてるんじゃないか」
「こんなときまでKYスキルを発動しないでください!」
「好きだよ」
「っ!!」
「大好きだよ。愛してるんだ、俺だけのヒロイン。ほんとは、ほかの誰にも見せたくないくらい、愛してる」
それだけ告げて、アルフレッドはの答えを呑みこむように顔を近づけ唇を重ねた。少しずつ角度を変えて深く入り込んでいく毎に、うわ言のように溢れるの音に呼応して上下する、背を抱いた節張った指。くすぐったいような身体の芯が熱くなるような奇妙な感覚に、はアルフレッドの背中にしがみ付く力を強くした。
そういえば、まだ結局私は答えを返していなかった。ふと、微かな理性で思い出す。けれど想いを告げようにも声を発するための場所は未だに塞がれてしまったままだったので、は仕方なく右手の人差し指でアルフレッドの背中に一筆書きの記号を描いた。