「わあ…今年もたくさん実っているんですねぇ」
両の手のひらを合わせて感嘆の声をあげたの横顔は、夏の日差しのせいか、薄っすら赤く染まっていた。
背中に伸びた少しくせのある黒い髪。ジャッポーネの髪の色は、俺たち欧州のそれと違って陽の光を余すことなく吸い込んでしまいそうなくらいに深い。きっと、触れたら真夏の砂浜みたいに熱くなってるんだろうな。あんなんじゃすぐに熱中症になっちまう。そう思って、自分の首にかけていたタオルに手を伸ばす。けれど、それがの元に届くよりも先に、横からすっと伸びてきた大きな手が夜を隠すように麦色の帽子を差し出した。
「あかんよーちゃん。麦藁帽子忘れとるで」
「ひゃっ!」
唐突に降ってきた肩まですっぽり日陰で覆う大きな麦わら帽子にいつもよりも高い声をあげると、広いつばに指を乗せて、が声の主を見上げる。浮かべられた表情は満面の笑顔。そしてそれが向けられているのは――――
「ありがとうございます、アントーニョさん」
薄っすら赤く染まった頬は夏の日差しのせいか、それとも隣に立つあいつのせいか。翠玉の瞳を細めて穏やかに微笑むアントーニョは、の首元に手を伸ばすと、二本の白い紐を顎の下でゆるく結んだ。
「ほら、できたで。これで太陽の下でもばっちりや」
「すごく大きな麦わら帽子ですね。…お借りしてしまっていいんですか?」
「あったりまえやん。ちゃんが熱中症で倒れてしもたら、親分まいってしまうわ」
「ふふっ。それでは、お言葉に甘えてしまいますね」
つばの陰からのぞく俺には向けられたことのない自然な表情。腹の下が、ちくりと傷む。
俺もアントーニョも、と出逢ってからの時間に違いなんてほとんどないくせに、どうしてこんなに違うんだ。もう、何度考えたか覚えていない感情が、そこで巣くっているんだろう。ちくりちくり。無意識のうちに左手は鳩尾のあたりを押さえていた。どうして、どうしてなんだ。いくら考えても、答えは一度だってでなかった。
向き合う二人。アントーニョと。親分と、想い人。
今、二人の瞳にはそれぞれの姿が真っ直ぐに映っていて、俺の瞳には二人の横顔だけが浮かんでいて。その笑顔を俺に向けてほしいと願うのは、贅沢なんだろうか。我が侭なんだろうか。
表面に立って見下ろせば俯かれて、弟のように挨拶をしようとすれば顔をそらされる。じゃあ、他の女にするみたいに口説き文句を口にしようとしてみても、強張った喉からは気の利いた台詞のひとつだって出てきやしない。
それなのに、どうしたって焦がれてしまう。
いっそ、こんな想い丸めて捨ててしまえればいいのにと、何度思ったことか。決して叶わない、願ったところで意味をなさない感情なんて、燃えるゴミになってしまえばいい。そう、何度だって考えるくせに、あいつに向けらているの笑顔を見つけるたびに、俺は何度だって落ちていく。
「こら、ロヴィーノ!さぼっとらんで、お前も手伝えや」
気が付けば、腕を振って大声を張り上げるアントーニョが、俺に視線を向けていた。そこに浮かぶのは、に見せていたものと同じ太陽のような眩しさ。そして、その横顔を一心に見つめる、儚い横顔。
ああ、わかってる。わかってるよ。俺の入り込む隙間がそこにないように、だって同じ隙間を探してるんだってことくらい。あいつはとにかく鈍いから、がどんなに想ってたって、口にしない限り届きやしないんだ。
だけど、絶対に教えてなんてやるもんか。イタリア男は女に優しい?そんなもん、知ったこっちゃねぇ。好きな女をわざわざ他の男にやるための助言なんて、絶対にゴメンだ。
「ロヴィーノ、聞いとるん?」
絶対に、ゆずらねぇ。お前にも、他の連中にだって。
横目で微かにこちらを伺ったの眼と、視線が一瞬かち合う。たったそれだけで、こんなにも心臓が傷むんだ。もう二度と、浮上することなんてあるわけねぇ。
反応を示さない俺を不思議に思ってかタオルを巻いた首を傾げるアントーニョを、この感情全部詰め込んで、俺は睨むように見返した。
