十字の枠に囲われた窓の外には、青々とした空とトマト畑が広がっていた。室内にまで染み入ってくる熱気は留まることを知らず、立ち止まるとじんわりと肌に汗が滲んでくる。今年もトマトがよう育ちそうやなあ。横目で光に溢れるそれを見つめていたスペインは、赤々と実るトマトを想像しながら、窓の向かいの扉を開けた。
蝶番が鳴らした乾いた音の後で飛び込んでくるのは、薄暗い明かりだけが灯された窓のない空間と、シャランと響いた耳をくすぐる音。思わず、自分の口元が緩んでしまったことにスペインは気づいた。厚い扉と壁で囲われた室内の音は決して外には漏れない。自分だけが聴くことを許されたこの音が、きっと全てを象徴しているのだろう。


「…いつになったら気が済むの」


大きな光源となっていた扉を閉め、しっかりと鍵をかけなおしたスペインの背中にかけられたのは、呆れたような諦めたような声だった。声の主は、もったいぶるように振り返ったスペインを、ベッドに寄りかかって睨みつけるように見上げていた。手のひらほどの小さな灯りだけで照らされた暗い室内でも映える、サファイアの瞳。微かな光を吸い取って輝くそれに自分だけが映されているのだと考えるだけで、喉が何かを呑みこんだように上下した。嚥下したそれは、とても甘くて苦い。スペインは、口角を上げ柔らかな笑みを浮かべてに近づいた。


「ごめんなー不自由させてもうて」
「悪いと思うんなら、とっととこれを外してここから出して」


そう言ってが上げた彼女の両足首には、彼女の腕ほどの太さがある銀色の鎖が繋がっている。そして、それと同様のものが、彼女の細い首からも伸びていた。が少し動くたびに音を鳴らすそれは、をこの部屋に閉じ込めた時にスペイン自身がつけたものだ。部屋の中心に楔を穿ち、の行動を制限する戒めに指を這わすと、先ほど感じた熱気とは正反対の冷気が伝わってくる。そこからゆっくりと指先を動かせば、辿りつくのは体温の低いの肌。ほんの一瞬触れた途端に逃げていってしまったけれど、作り物ではない確かな体温があった。


「だから何度も言うとるやん。今、どこもかしこも異端審問で大変なんやで。が外におったら、すぐに捕まってしまうわ」
「だから何度も言ってるでしょ。出してくれさえしたら、勝手に安全なところに飛んでいくって」
「…俺の前であんまそないなこと言わんとって。俺はまだ平気やけど、国民がその気になったら、俺かてのこと守れなくなってしまうかもしれへんやん」


な、と目線を合わせて微笑めば、は肩を竦めて顔を背ける。そうだ。この部屋も、この鎖も全部、のためなんや。は魔女だから、外を出歩いていたら何時誰に密告されてしまうかわからない。疑われてしまったらお仕舞なのだ。もしかしたら、殺されてしまうかもしれない。そんな危険から、自分はを守っているのだ。
方法は他にもあったかもしれないが、スペインはこれが最善の策だと思っていた。固く閉ざされた扉の鍵は自分だけが持っていて、窓もないこの部屋で繋がれたが自身の力だけで抜け出すことはできない。の魔法には「他人」が必要だ。自分以外の誰とも触れることが適わない以上、彼女に抵抗する術はない。
誰の眼にも触れず、誰と言葉を交わすこともなく、存在すら認識されなければ、彼女が裁かれることはない。これ以上にを守る良い方法があるだろうかと、何度目ともわからない理由を語ると、はそっぽを向いたまま長く重く息を吐き出した。


「何言ってんの、スペイン。大体、ここはほかのとこより厳しくないじゃん。たとえ裁かれたって、殺されるなんてほとんどないくせに」
「そんなことないで。がここに来る前はそうやったかもしれへんけど、今は大変なんやで?」
「嘘ばっか。スペイン、いったい何を考えてんの?こんなことして、いったい何になるの」


紡がれる言葉は非難に満ちていたけれど、その声がスペインを責める力は弱かった。ここに連れてきた当初は、毎日のように喰いかかってきたのに。首と足に嵌められた枷の周辺を常に彩っていた赤い傷も、最近はめっきり咲かなくなったし、すり減った爪先も綺麗な曲線を描き続けている。それに気付いたとき、スペインはもう少しだと笑った。に見えないように、こっそりと。
こんなことをして、いったい何になる?どうしてそんなこと聞くんやろ。スペインはもう一度の白い足に手を伸ばした。今度はしっかりと手のひらで押さえつけるように触れる。それから、薬指、中指、人差し指と順番に曲げて、以前よりもいっそう細くなったの脹脛を握った。


「もう少し…もう少しやから」
「スペイン…?」
「心配せんでもええよ。俺が、をずっと守ったるで」


も知らないうちに、少しずつ確実に奪われているものに、彼女はいったいいつ気付くのだろう。もう、気が付いたところでどうなるものでもないけれど。スペインの手のひらですっぽり包めてしまうまで細くなった足と、抵抗する意思が掠れた心。諦めという名の絶望は、佐倉の自由を彼女自身の手で狭めていた。

だから、もうすぐ。もうすぐ、全てが終わるんや。

握った手のひらの強さに驚いてスペインを見やったが、小さく息を呑んだ音が聞えた。ああ、きっと、もう自分は隠しきれていないのだろうとスペインは悟った。けれど、もう遅いのだ。ここまで気が付かなかったの負け。二人の交点から視線を上げ瞳を細めると、スペインはもう一方の手をの首元に伸ばした。










( 収穫のときは、もうまもなく )