唐突に、偶然に、突発的に、記憶喪失になる薬を見つけました。
( 普の場合 北伊の場合 ツナの場合 雲雀の場合 )
円卓を囲む菊、、フェリシアーノ、ルートヴィッヒ、ギルベルトの前に置かれた古びた小瓶。ラベルには、「記憶喪失薬(効果は一日)」と書かれている。瓶が濃い茶色をしているため、中身の色はわからないが、醸し出す雰囲気全てがとにかく激しく主張していた。
(((( あやしすぎる…! ))))
「と、いうわけで。飲んでみてください、」
「は…ぃって、私ですか!?」
ええ、どうぞ。にっこり清清しいほどの笑みを浮かべて、菊がずずいとの方へと件の小瓶を押しやる。
有無を言わせぬ指名を受けたは、膝の上でぎゅっと手のひらを握ってしばらくそれを凝視した。見つめること三十秒。意を決し、は小瓶の蓋を勢い良く引き抜き、口にあてがって思い切り上を向いた。
「んぐ」
「ヴェ、ちゃん!?」
「だ、大丈夫なのか!」
「、おい!」
「………皆さん、我が家の倉庫から出てきたものをなんだと思っているんですか」
静かな怒りをあらわにする菊を無視して、喉を詰まらせ咳き込むに慌てる三人。しばらくして、ようやく彼女が正常な呼吸を取り戻すと、全員がほっと胸を撫で下ろす。しかし、そこではたと気付く。先ほどが勢い良く呷った怪しい薬の効力は、記憶を一日失うこと。そんな薬があるとは到底思えないが、"あの"本田家の倉庫から発見された薬となれば、どんな効果があるかはわかったものではない。
「…気分は、どうだ?」
「少し、喉に詰まってしまっただけです。すみません、ルートヴィッヒさん。ご心配をおかけしてしまって」
「おや、ルートヴィッヒさんのことがわかるんですか?」
「…菊さん。そんなに私を記憶喪失にさせたかったんですか」
「いえいえ、そんな。ただ少し、興味があっただけですよ」
くすくすと口元を袖で隠し笑う菊に、は大きく息を吐いた。まったく、この方は。ご自身の暇つぶしに、自分達を巻き込まないでほしいというものである。
「でも、よかったー!ちゃんが記憶喪失にならなくて」
ちゃんに忘れられちゃったら、俺泣いちゃうよー!
両手を広げ喜びを表現するフェリシアーノの名を呼んで微笑めば、更に嬉しそうに笑うフェリシアーノにつまらなそうにそっぽを向く家主。
「ま、もともと俺は信じてなかったけどな!」
「…兄さん、眼が潤んでいるぞ」
「ばっ…!こ、これはだな」
「……………」
「ん?、どうかしたのか」
じいっと一直線に向けられる視線にルートヴィッヒが振り返る。どうやら視線は、ルートヴィッヒを越えてギルベルトに向けられているようだった。数回、目を瞬かせ、は「あの、」と口を開いた。
「申し訳ありません。そちらの方は、ルートヴィッヒさんのお兄様なのですか?」
「…………は?」
「おや」
完全に固まったギルベルトの反応を待たずに、は居住まいを正し指先を畳に寄せて頭を軽く下げる。
「ご挨拶が遅くなり、申し訳ありません。菊さんのお宅で働いております、と申します」
「あ、いや…ちょっ」
「よろしければ、お名前を教えていただけませんでしょうか」
「名前って…おい!お、俺の名前、覚えてねぇのかよ!!」
「あの…お逢いするのは、初めてでは…?」
「んなわけあるかー!!」
ガタンと机を揺らして立ち上がると、ギルベルトは両手での肩を掴み、微かに揺らぐ夜色の瞳と真正面から向き合った。
「お前、俺の彼女だろ!?」
「私が…ですか?えっと、すみません。私、どなたともお付き合いはしていないと記憶しているのですが」
「…完全に、ギルベルトさんのことだけ忘れているようですね」
「菊、なんだか楽しそうだよ」
「いえいえそんなことはありませんよ。これはこまったことになりましたね」
「口が笑ってるぞ、本田」
呆れ九割含んだ言葉に「おや、失礼」と菊は再び口を隠して笑う。絶対に楽しんでいる。枢軸二人の思考が、完全に一致した瞬間だった。
その傍らで、きょとんとしたに首を傾げられたギルベルトは、ふるふると肩を震わせていた。目の前が真っ暗になるとはこのことだ。何が哀しくて、恋人である自分だけが忘れられなければならないのか。ギルベルトは心中で切に願った。誰か夢だと言ってくれ!
「な、なんで俺だけ忘れてんだよ!」
「んなの、お前がにとってどーでもいいやつだからに決まってんだろ」
けれど、ギルベルトの願いは虚しく、スパンと襖を鳴らして現われたのは、いまや彼の天敵とも言える人物だった。
「兄さん!」
「げっ、…!おま、いったいどこから」
「玄関からに決まってんだろ。はっ、彼氏だかなんだかしらねーが、忘れられてんじゃあ話になんねぇな」
「兄さんも…この方のこと知ってるんですか?」
「いや、知らねぇ。こんな普憫、小指の先ほども記憶にないね。赤の他人だろ」
「て、めぇ…!くそっ、もう勝手にしやがれ!!」
一人楽しすぎるぜー!と木霊しそうな捨て台詞を残して、ギルベルトの背中が遠ざかっていく。
引き戸が力任せに開けられた音が聞こえたところで、ようやく菊が口を開いた。
「まったく、いたずらがすぎますよ、」
「いたずら…?」
「………ふふっ。だって、ギルベルトさんがあんまり可愛いものですから」
「ど、どういうことだ!?本田、!」
「まあ、あれです。一言で言うなら、薬はやはり効かなかった、ということですよ」
菊の言葉にルートヴィッヒが勢い良くを見やる。同時に視界に入った彼の兄は、片眉を上げ不機嫌そうにギルベルトのために入れられた緑茶を啜っていた。そして、はといえば。
「すみません。ギルベルトさんを追いかけてきますね」
堪えきれないとばかりに楽しげな笑みを浮かべ、は先ほどギルベルトが駆けていった廊下へと消えていく。 その背を、のつまらなそうな舌打ちだけが見送ったのだった。
それからしばらくして、仲良く手を繋いで帰ってきたギルベルトにが湯呑を投げつけたのはいうまでもない。
口の中に残っていたなんだかよくわからない甘いものを飲み干して、瞼を上げると「ヴェ」と鳴く男の人が立っていた。
「…………」
「ちゃん?ちゃん??大丈夫!?」
彼が口にしたのは誰かの名前なのだろうか。というか、こちらを向いて発しているところをみると、自分の名前なのかもしれない。なぜかもやがかかったように見通しの悪い頭で、は考える。
目の前の男の人は、焦げ茶の髪と瞳をした、二十そこそこの若者だった。特徴と言えば、頭からくるんと空に伸びた一本の髪と、絵本の中に出てくる王子様でも彷彿とさせるような整った顔立ち。
(…というか、この人はどうしてこんなに慌てているのでしょうか)
そしてなぜ自分は慌てた彼に肩を掴まれ思い切り揺さぶられているのだろう。ぐわんぐわんと故意に揺らされる頭で、は考える。正直、ちょっと気持ち悪い。定まらない視界とぐるぐるまわる脳内に限界を感じて、必死に停止を求めて彼の胸を押した。
「とにかく一度落ち着いてください!焦ったときは深呼吸です。はい、息を吸って!」
「ヴェ!?」
「思いっ切り吐く!」
半ばやけくそで叫ぶに気圧されるように、彼は吸い込んだ空気を思い切り吐き出した。
ようやく訪れた静寂に、慌てふためき続けていた彼の頭も落ち着きを取り戻したようで、の肩から手を離すと自分の胸の前でぎゅっと握った。まるで祈るような姿には首を傾げる。浮かんだ彼の表情が、あまりに真に迫っていたのだ。
「あの…あなたは、」
「ちゃんっ、俺のこと忘れちゃったの?」
「……すみません」
唇をきつく引き結んで問われても、にはそう答える以外になかった。案の定、彼は顔をくしゃりと歪めて今にも泣き出しそうに瞳を揺らす。
そんな彼から目を逸らすことが出来ないまま、そういえば、とは考える。今、この人は「忘れちゃった」と言ったのではなかっただろうか。脳内を一筋の光が通り抜けたような気がして、は目を瞬かせあたりを見渡した。
足元には光沢を放つフローリング、体の下にはふかふかのソファ。部屋の中には大きな家具がいくつも置かれているというのに広さの所為か閑散としていた。
ここは、いったいどこだろう。自分の部屋はこんなに広かっただろうか。いや、そもそも自分の部屋は、どんなところだった?どんな家具が置いてあっただろうか。壁の色は?床の材質は?それ以前に、自分に部屋が、あっただろうか。
眼前に突きつけられた現実に、の目の前が真っ白になる。何も、思い出せない。それどころか、思い出せないということさえも、にはわからなかった。私の中には、もともと何かがあったのだろうか。わからない。わかっていたのかさえ、思い出せない。だんだんと光を取り戻していく視界。そして、目の前には ――――― ぼろぼろと涕を流す、焦げ茶の人。
「どうして…あなたが泣いているんですか?」
「だ、だってぇ…っく、俺、俺のこと、忘れちゃったぁって」
「…あなたは、私の家族なんですか?」
「違うよ!俺は、ちゃんの恋人なんだよ!?」
「こい…びと?」
それも忘れちゃったの!?と更に嘆いてわんわんと泣き出す彼を前に、は自分の胸がちくりと痛んだのを感じた。泣かないでほしい。笑っていてほしい。体のどこかで、誰かがそう言っていた。
「…泣かないで、ください。どうしてか、あなたに泣かれると…わたしもかなしいんです」
「でも」
「どうしたら泣き止んでくださいますか?どうしたら、笑ってくださいますか?」
訪ねると、くりんとした瞳から尚も雫を溢れさせたまま彼は三度瞬きをした。それから、少し悩むように「ヴェー」と鳴くと、泣き顔のまま笑って言った。
「じゃあ、キスして」
「………私が、あなたに、ですか?」
「うん!ちゃんが俺にキスしてくれたら、俺すっごい元気になるよ!」
「…すでに元気なように見えますが」
「そ、そんなことないよー俺、ちゃんがキスしてくれないと、全然元気じゃないよ」
いやすでに笑ってませんか、と喉まで出かかった言葉をなんとか飲み込んで、またしゅんと肩を落としてしまった彼をじっと見つめる。
彼は、自分の恋人なのだと言う。恋人だったら、キスするなんて当たり前なのだろうか。よく、わからないけれど、それはとても恥ずかしいことのような気がする。けれど、不思議と、嫌ではない。よくわからない。は空っぽのようなぐちゃぐちゃのような頭を一度大きく振って、改めて彼と向き合った。
「フェリくん」
「ヴェ!?」
その言葉は、考えることなく零れ出た。
それが何を表すのかはわからなかったけれど、それが大切な何かであることはにもわかった。
そして、それを口にした瞬間彼がとても嬉しそうにはにかんだので、もつられて嬉しくなってしまって、そのまま彼の頬に唇を寄せた。
「…元気、出ましたか?」
「………………き」
「え?」
「ちゃん!大好きだよー!!」
「きゃあっ」
前触れなく飛び込まれては留まることもできず、はソファとフェリシアーノに挟まれ「ぐえ」と妙な声をあげてしまう。苦しいです、と必死に抗議の声をあげようと口を開きかけたが、喉から音が飛び出る前に柔らかな何かが飲み込んでいってしまった。
「一日だけ記憶喪失になる薬ですか?」
「うん…でも、ちゃん。絶対に飲んだりしないでね。俺のこと、忘れたりしたらやだよ」
「それは…大丈夫ですよ。もしもフェリくんのことを忘れてしまったとしても」
「全然大丈夫じゃないよっ」
「でもきっと、私はフェリくんのことを忘れても、もう一度フェリくんを好きになりますから」
「…………え?」
「試してみましょうか。私からフェリくんにキスをしたら、私の勝ち」
「え、えっ?」
「私が勝ったら、いっぱい甘やかしてくださいね」
ふと頭の中に浮かんだのは、いったいなんだったのか。
聞こえたような聞かせたような声を必死に思い出そうとしたの努力は虚しく、甘い甘い口付けに溶けて消えていってしまうのだった。
次の日。ベッドの上で目を覚ましたが、隣ですやすや眠るフェリシアーノの朝食に例の薬を混ぜたのは、また別のお話。
イタリアのシチリア島から薬(出所不明)を輸入した。ラベルに書かれた説明によると効果は二十四時間記憶を失うことらしい。が、真偽のほどはわからない。なのでとりあえず使ってみることにした。
「ってわけだ。わかったか、ダメツナ」
「わかるわけないだろーー!!!」
やれやれ、しょうがねーな。大げさな溜め息をオプションに肩を竦めたリボーンに、ツナは思い切り机を鳴らして立ち上がる。
なんでそんな怪しい薬を輸入してるんだとかとりあえずで使ってみるなよとか、問い質したいことは山ほどあった。けれど、それが口から吐き出されることは終ぞなかった。なぜなら、机が叩かれた大きな音にビクッと身体を震わせ、顔を歪めた存在がすぐ隣にいたからだ。
「…おこってるの?」
「あ、や…そういうわけじゃ」
「女子どもの前で大声だすなんて、ダメダメだな、ツナ」
「誰のせいだと思ってんだよ、誰の!」
再び向かいのリボーンに向かって怒鳴りつけると、くしゃりと今にも泣き出しそうに崩れた表情。ツナは慌てて横を向くと、隣の席に座った少女に笑いかけた。
「に怒ったわけじゃないから…だから、あの」
「……おこってない?」
「全然怒ってないよ!」
うるっと瞳を滲ませて、制服のスカートを握り締めたままは首を傾げる。
腰掛けた彼女の目線は立ち上がったツナよりも低いけれど、歳相応の少女に成長したはいつもと変わらぬ出で立ちでそこに座っていた。結い上げあられた長い黒髪。くっきりとした二重の瞳。別れた小六の頃よりもすっきりとした輪郭。中三女子の平均とほぼ同じ身長。凹凸が目立つようになった身体。
けれど、外見が変わらないからこそより際立つ違いが、そこに確かにあった。
「よかったぁ。おにいちゃん、のことおこってないんだ」
そして、はにこっと効果音でもついてきそうなくらいに満面の笑みを浮かべた。舌足らずな口調と、「おにいちゃん」という単語にツナが目眩を憶えたのは、言うまでもない。
「どうやら十年分くらいの記憶が消えちまったみてーだな」
「十年って…それじゃあ、今のは五歳の子どもってことかよ!?」
「中身だけな」
「大体、なんでになんか飲ませたりしたんだよ!それにこれ、ほんとに一日で治るのか!?」
「治らなかったときはそのときだ。ツナが面倒みてやれ」
ちらりともう一度横目でを見やり、ツナは考える。 ぶらぶらと足を揺らして楽しそうに笑うの姿は、確かに日ごろの彼女と比べると幼い子どものように見える。五歳といえば、ランボやイーピンと同じ年頃ということか。そういえば、の五歳のときってどんな子どもだったろう。ツナは必死に記憶の底を漁ってみたが、当時の自分は更に若い四歳。思い出など、ほとんど浮かんではこなかった。
けれど、いくらといえども、五歳の子どもの時からしっかりしていたわけではないはずだ。しかも中身だけが若返ってしまったとなれば、周囲の認識は変わらないわけで。いつもと変わらない調子で話しかける彼女の同級生や知人の姿を思い浮かべ、ツナはリボーンの言葉の真意にようやく気付いた。
「ねぇねぇ、おにいちゃん」
「え?な、なに?」
これから二十四時間のことを想像し、蒼白したツナの服をくいくいとが掴む。視線を向けると、伺うように上目遣いをしたがしゃがみこんでいた。
「おにいちゃんは、ツナおにいちゃんっていうの?」
「あ、ああ。そうだよ」
「あのね、のおともだちもね、つなよしっていうのよ」
「え…」
気が付けば、正面の席にいたはずのリボーンがいなくなっていた。けれど、ツナの頭はそれを認識することなく、ただひたすらに無邪気な笑顔を浮かべるに占められていた。
つなよしはね、と嬉しそうには続ける。
「よりひとつちっちゃくてね、かわいいの。のうしろをね、ついてきてくれるのよ。それでね。ないしょだけど、ちょっとだけなきむしなのよ。おとこのこだからダメっていっても、ないちゃうの」
「そう、なんだ。…じゃあ、その子はもっと強くならないとダメだね」
「うーん。でもね、つなよしはやさしい子なのよ。だから…つよくなくても、はつなよしがだいすきなの!」
いつかつなよしも、おにいちゃんみたいにおおきくなるのかな。
まるでその日を待ち望むように遠くを見て微笑むは、幼さを残してはいるけれど、眩しくて。気が付けば、ツナは彼女の小さな手のひらを両手で握り締めていた。
「おにいちゃん?…どうしたの?どこかいたいの?」
「…ちが、うよ。大丈夫…大丈夫だよ」
「ないてるの?いたいのいたいの、とんでけする?」
それはまるで、縋るような姿だったと思う。祈るような姿にも見えたかもしれない。いいこいいことツナの頭を空いた手で撫でてくれるの右手を握って、ツナは自分の額にそれを寄せて俯いた。
「心配しないで、。オレがさ、守るから」
それから、ようやくの思いで搾り出した決死の言葉は、小さく掠れていたけれど、決して取り零すことなく拾い上げるとは、数拍の後で小さく、けれどはっきりと頷いた。
年齢なんて関係なかった。ただ君であること。それだけでオレはこんなにも、
イタリアのシチリア島から薬(出所不明)を輸入した。ラベルに書かれた説明によると効果は二十四時間記憶を失うことらしい。が、真偽のほどはわからない。なのでとりあえず使ってみることにした。
「……で、君はそれを飲んだわけね」
「おにいちゃん、だぁれ?」
突然応接室の窓から現われた赤ん坊に前置きなく一息に告げられ、「気になるなら教室に行ってみたらどうだ」と言われ、訪れた放課後の教室に、彼女はいた。
とっくに下校時刻の過ぎた夕日の射し込む三年の教室には、窓際の席に腰掛けていた以外にだれもおらず、無人の室内には彼女の鼻歌だけが響いていた。教室の扉を開けた途端に歌は止んでしまったが、雲雀の来訪に気付いて振り返った彼女は幼い子ども特有のアクセントで雲雀に問うた。
君は、誰、と。
「ふぅん。面白くない冗談だね。君は僕が名乗る前から僕のことを知っていたんじゃなかったの?」
「おにいちゃん…のこと知ってるの?」
くいっと首を傾げる仕草は、確かに幼い子どものそれに似ていた。そして、首の上に乗った顔が浮かべる表情は、明らかな困惑。どうやら、赤ん坊が言ったことは本当だったらしい。大股でに近づきながら息を吐いた。
「君は本当に、厄介ごとに巻き込まれ易い体質みたいだね」
「やっかい、ごと?」
「君そのもののことだよ」
「…?おにちゃんはどうしてのこと、しってるの?はおにいちゃんのことしらないよ」
近づいて、見下ろしたは色の白い頬をぷくりと含まらせ、雲雀を精一杯に睨みあげる。
ああ、そんなところは変わってないんだね。
記憶を失くしたらしい彼女は、子どものような態度を取るようになった。初めから知っていた、雲雀のことを忘れていた。
けれど、記憶を失くしたらしい彼女は、これまでと同じように、雲雀を特別扱いしたりしなかった。臆して眼をそらすことも、逃げることもしなかった。彼女が彼女であることに、なんの違いも生じてはいなかったのだ。
「…不思議だね。僕の名前を覚えていない君に逢うのは、初めてだよ」
「おにいちゃん、さっきからわからないことばっかりよ。のことみそっかすにするのっ」
「忘れている君が悪いんだよ。…まあ、名前くらいなら教えてあげるよ。僕は雲雀恭弥。ほら、呼んでごらん」
無意識に緩む口元に気付かないふりをして名前を告げると、は大きく眼を瞬かせてから、ゆっくりと「きょーや」と口にした。それから、確かめるように口の中で繰り返して、頬を緩めてにこりと笑った。
「きょーやおにいちゃん」
「恭弥でいいよ。君にお兄ちゃんなんて呼ばれると気味が悪いからね」
「……きょーや?」
「そう。いい子だね」
言いつけを守る子どもにするように、慣れない手つきでの黒い髪を撫でてやる。二十四時間後、今この瞬間の記憶が残っていたら、彼女はどんな顔をするだろう。想像できない想像の世界に興味が沸いて、雲雀は少しだけ楽しんでいる自分に気付く。まったく。この少女はどこまでも「変な子」だ。自分にこんな感情を抱かせる存在なんて、他にないほどに。
「仕方がないから、助けてあげるよ」
もちろん、貸し一つでね。そう言って、雲雀は髪を撫で付けていた手のひらを額へとずらし、前髪を掻きあげたの額に唇を寄せる。触れた彼女の肌は子どもの体温ではなかったけれど温かく、夕焼けの陽射しと相まって雲雀を穏やかに溶かしていった。
無償の施しなんてしてあげない。だけど、仕方がないから君のことくらいは、
|